資産防衛の日々

専業投資家:独自のルールに基づき割安成長株に中長期投資をしています。臨床工学技士として病院に勤めて4年後に「専業投資家」として独立。宝塚ファン。

【ヤクザ】私が亡き父から受けた教育を覚えているかぎり書きます。

私の亡き父はヤクザでした。


これは5日前の記事でも書いたとおりです。
picul.hatenablog.jp

父の生い立ち

私の父は、10代で少年院に入って、そこで色々な教育を受けました。そろばんから、字の書き方まで色々と学ぶことができたようです。生前、父は少年院にとても感謝していました。少年院のおかげでやくざで成功できたと言っていました。当時の少年院は看守の暴力が当たり前だったようです。父も一度殴られたことがあり、そのときに「今回は許したるけどな。次どついたら、殺してまうからな」と迫ってからは、看守が優しくなったと言っていました。


少年院を出てからは、すぐにヤクザの門を叩いたと言っていました。つまり10代からずっとヤクザでした。おそらく40歳くらいまでヤクザでした。詳しく分からないのは、父がそのことについて話してくれたことがないからです。基本的に父はヤクザの話を子供時代の私に一切しませんでした。私が、知っていることは、私が大人になってから聞いた話ばかりです。子供のころには特になにも話しませんでした。ヤクザを辞めた理由は、組自体が解散のような形だったと思います。このあたりは残念ながら具体的に聞いたことがありません。


父がヤクザになってからは、色々な事がありました。色々な女性と結婚し、私もその結果産まれました。残念ながら、具体的に何をしてきたかは聞けませんでした。例えば、死ぬまでどうしても聞けなかったことがあります。「人を殺したことがあるのか」これは最後まで恐くて聞けませんでした。一般的なニュースのイメージとして、ヤクザの殺人のニュースはとても少ないですね。しかし、ニュースにならない殺人事件はたくさんあります。
ただ、私の推測ですが、父は賢かったですし、殺人はしていないと思っています。

私が子供のころのヤクザイメージ

私のヤクザのイメージと、現代のヤクザのイメージは全然違います。昔は、「正義のヤクザと、悪者のヤクザ」がいた感じでした。もちろん、これは私の子供ころの勝手な想像です。しかし、いくらヤクザでも、私にとって父は正義のヒーローでした。義を重んじていました。さらに、悪い運転ドライバーや、飲食店などで何か揉めている事があれば、すぐに割って仲裁に入っていました。とにかく弱い者いじめするのが嫌いな性格でした。それはイメージではなく事実でした。皆が思っているように銃で解決するようなことはありません。父は格闘技をしていましたし、常に筋トレや有酸素運動をしていました。家に銃や防弾チョッキを置いてありましたが、幼かった私は大した意味を持ちませんでした。


私の父はどちらかというと、正義のヤクザでした。なぜなら、薬や人身売買などは禁じており、主な収入源として、「企業や飲食店の用心棒、交渉人、資金回収、相談役、麻雀店経営」でした。連合を組んでいて構成人数は約500人だったと思います。(組自体はたしか80人くらいだったと思います→これの記憶あやふやです)もちろん、私はヤクザに興味はないので彼らについて勉強したことはありません。ですので、父から聞いていて覚えている範囲で書いてます。父はその中では成功していました。立場は知りませんが、皆から恐れられていたのを覚えています。母から聞いた話ですが、組長は父のことをこのように言ったそうです。「◯◯は普段優しいけど、キレてもうたらむちゃくちゃしよる。そこまですんな。って言うてるねんけどなあ。」
父の具体的な仕事内容は知りませんが、「他の組と揉め事があれば、話をつけにいく。お金の管理をしていた。」ということは聞いてます。手の指は10本揃っていました。「指落とさなあかんのは恥ずかしいことなんや。」と聞いたことがあります。身内の女に手を出した場合は、指ではなく、腕を落とされると聞いたことがあります。

優しい父

さて、こんな父ですが、意外にも私への接し方は優しいものでした。父からは一度も叩かれたことはありません。私の兄弟は毎日のようにどつかれていましたが、私は一度もどつかれていません。さらに、嘘をつくことが嫌いでした。とにかく、毎日抱きしめてくれていたことを覚えています。私が中学生になってもハグをしてくれていました。ヤクザの皆もとても優しかったです。お金の集金も終始穏やかで、私も小学低学年のころよく車で連れられていました。

私が大人になってから

離婚してからはほとんど会いませんでしたが、私が大人になって自立してからは月に一度の頻度で会っていました。そのときも毎回ハグをしてくれました。ある時、父とスナックに行きました。そこで、ガラの悪い客が店員に絡んでいたのです。そこで私は腹が立って、それに文句を言いにいこうとしました。そうすると、父は意外にも私を止めました。「やめとけ。簡単に喧嘩したらあかん。喧嘩するんは自分の家族が危ないときだけや。その時だけは相手を殺してもうてもええ。なんぼでもやってまえ。それ以外は絶対に喧嘩するな。何持っとるかわからん。刺されてもうたら終わりや。大人しくしとけ」カタギになった父はとにかく喧嘩を避けました。新しい奥さんやその家族と穏やかに過ごす幸せを手に入れていたからだと思います。とにかく、弱い者を守り、第一優先は家族と言っていました。「家族を守ることだけ考えろ。それ以外はどうでもいい」
それから、「入れ墨だけはするな」と言われていました。当然、私は全く興味がないので「絶対せーへんから安心して」と言いました。

父からの教育

1.たくさんハグをする
2.喧嘩はしない
3.家族を守るなら何をしてもいい
4.横断歩道の歩行者妨害するな
5.入れ墨は絶対しない
6.風俗にいくな
7.危ない場所にはいくな
8.揉め事を避けろ
9.警察を呼べ
10.弁護士と税理士を活用する
11. 勉強して賢くなれ→18歳になってから言われた


追記
また、色々思い出したら、忘れないために書いていきたいと思います。
ちなみに、大人になってから、色々と父と話すようになりましたが、その際に具体的な氏名や、固有名詞は一切話してくれませんでした。知らない方が安全ということでしょう。