資産防衛の日々

専業投資家:独自のルールに基づき割安成長株に中長期投資をしています。臨床工学技士として病院に勤めて4年後に「専業投資家」として独立。宝塚ファン。

【神戸物産】日常生活で感度高くしていると発見できます。


昔、業務スーパーの圧倒的な激安商品に衝撃を受けました。そういう衝撃は株式投資に活きます。当時、そのおかげで神戸物産に割安時に投資することができました。日常生活で出逢ったお宝銘柄でした。


これからも日常生活での感度を大事にしていきます。

【決算発表】保守的な会社の場合、通期決算を跨ぐのは慎重に。

大阪城エリアは本当に美しいです。
近所ですがパワースポットです。

さて、保守的な会社の場合、通期決算を跨ぐのは慎重にすることも1つのアイディアです。

例えば、市場がある会社の成長ストーリーを今期予想、来期予想ともに「増収増益」を期待しているとします。実際、今期予想は「増収増益」に向かって順調に四半期決算が進捗しています。

しかし、いざ1年間の通期決算が発表されると、今期予想であった実績値は「増収増益」を達成できたものの、あらたに発表された今期予想が「増収減益」などのパターンがあるからです。保守的な会社によくあるパターンです。これには市場は面食らうので、株価がネガティブに反応することがあります。


ですので、あらかじめ、保守的な決算を発表しそうということが分かれば、通期決算の前に少しポジションを減らしておくという対策をあります。これはあくまで1つのアイディアです。


もちろん、「増収減益」でも長期的に見れば、なんら問題ないこともあります。ですので、自分がどういうスタンスで株を買っているかによって判断が変わります。わりと短期目線で考えているなら不要なリスクを避けたらいいですし、長期で考えているなら、増収減益で嫌気されて株価が下落したところを静かに拾うこともできます。いずれにせよ、株式投資というのは同じ銘柄を扱っていても、ある人は富、ある人は貧する世界です。立ち回りも大事な要素です。

【ヤクザ】子供時代、みんな穏やかだった記憶があります。でも、誰かとトラブルになったときに発した一撃の言葉がありました。

以前、亡き父についての記事が書いたところ、とても大きな反響がありました。ヤクザに関することで、ふと思い出したことがあるので書きたいと思います。

亡き父についてはコチラ⇓
picul.hatenablog.jp


日常生活の会話で、「お前しばくぞ〜」「どつくぞ」「まじで殺すで」など、平気で冗談言う人がいますよね。冗談でなくて、本気で怒ったときに言う人もいるでしょう。


でも、私の子供時代を思い返すと、ヤクザはそういう言葉を気安く発しませんでした。いや、もちろん若い人とかはたしかに言葉が荒いです。不良だったころの素振りが抜けてないのかもしれませんね。でも、大物クラスは基本めちゃくちゃ優しかったです。ちなみに私、ヤクザに詳しくありません。それは前回の記事でも書いたとおりです。ですので、子供時代の記憶をたどり、組長(優しいおじいちゃんでした。)や、父など常に中心にいてたような人を勝手に大物クラスと決めつけてます。


話戻しますと、基本的に大物クラスは平和的で話し方も穏やかでした。ですので、日常会話で相手に対して「しばくぞ」「どつくぞ」「殺すぞ」なんて言葉を聞いたことがありません。


基本的に、大物は本気のときに、人間が変わったようにドスの利いた声で言葉を発します。例えば、スナックなどで、誰かとトラブルになったとき、若い衆は速攻キレます。でも、大物は簡単にキレませんし、そう簡単に怒りません。


でも、本気になれば、顔色と迫力が変わります。そして、「ワレ、覚悟決めとんのか」「わかっとるんやろな」と発します。


これはつまり、命懸けて文句を言ってきてるんか?という意味です。「喧嘩するんやったら、ワシのことを殺してまわな、お前の命はないねんで。」という意味です。この時点で、全てが決まります。「ワレ、覚悟決めとんのか」と同時に、立ち居振る舞い、顔色、ドスの利いた声、全てが合わさって絶妙な恐怖が完成するのです。大物クラスは人生での覚悟の決め方が異常です。恐いものがありません。何かの感情が壊れています。


話それますが、ヤクザは”平時”武器を持っていません。私の父も武器を持ち歩いていませんでした。車に木刀が入ってるくらいです。私が大人になってから、亡き父から聞いた話ですが、日常生活で武器が必要になれば、そこら辺のビール瓶や、ビール瓶ケース、自転車、コンクリート、看板など。そういったものを使うらしいです。「普段武器を持ち歩いたら、簡単に殺してまうから危ない」と言ってました。そもそも、亡き父はキックボクシングをしていましたし、週に3度はトレーニングを死ぬまで続けていました。身体を鍛えることで強い精神が宿っていたのかもしれません。


私が子供のころ暴走族に襲われて、護身用にナイフを持とうとしました。そうすると父は怒りました。「そんなん持ってどないすんねん。殺してまうんか?ナイフ持って使ってしまったら殺すしかあらへんで。絶対持ったらあかん。その辺のもんを武器にしてまえ」と言われたのを覚えてます。


私もそういう環境で育っているので、そういうトラブルで恐怖を感じません。もちろん、そういうトラブルに巻き込まれない術も持っていますし、危険な場所には行きません。トラブルは避けることが一番です。メリットありません。

【みんなで株トーク♪】2018年1月から、大阪で投資交流会を定期的にしてくれるようです!!

朝から、大阪の投資勉強会に参加しました。少人数で濃い話をしたので、とても刺激を受けました。たまたま大阪マラソンの日だったので、会場からその様子が見えました。


アウトプットすることで、自分の頭の中が整理されます。
ですので、参加するたびに頭が良くなっている気になります。笑


それに関連する話ですが
秘書のスワンが大阪で投資交流会を開いてくれるようです。
しかも、2018年1月から毎月定期的にとのことです。


規模としては50〜100人くらいで、参加費は「会場費と飲み物代が込みで1,000円」と聞いてます。


前半に、スワンから「お題」が出て各テーブルごとにアウトプットします。
後半に、参加者それぞれ自由に交流をします。休憩時間や退席は自由で、「力」を抜いてラフな感じの交流会を目指すと言っています。ゆる〜く繋がり合うことが大切のようです。


目的は、
「個人投資家を盛り上げる!」
とのことです。


こういう投資交流会、興味ある方はどれくらいますか?
興味ある方はスワンまで
「交流会興味あり」とメッセージしてください。
“優先的に申し込み案内”してくれるようです。


もちろん、投資関連やビジネスの勧誘は一切ありません。それはスワンは承知してます。なぜなら私がそれは絶対NGだからです。


スワンはコチラ⇓⇓

【与えることが大切】私がTwitterやブログで発信している理由。

私は、この14年間ずっと1人で投資を続けてきました。兼業時代の”怒涛の入金生活”があったので、厳密には夫婦2人の力ですが、投資に関していうと誰にも頼ったことがありません。直接学んだこともありませんので師匠もいません。全て、書籍を読んだ上での基礎知識、そして実践での経験、知恵を絞ることで自分の手法や理念を作り出しました。(しかし、これは間違いです。師匠を持った方が命(時間)の節約に繋がります。今現在、学び段階の方は、師匠を持ってください。)


マネー雑誌さえ読んでいませんでした。数年前まではアンチマネー雑誌でしたので(笑)マネー雑誌は大衆の心理を読むとく程度にしか役立たないものと思っていました。最近は、日経マネーの面白さに気づいたので読んでいますがあくまで娯楽です。


ですので、今現在も誰かのTwitterやブログを参考にすることは基本的にありません。それらも、あくまで娯楽として楽しんでいます。純粋に楽しいので、他の投資家のTwitterやブログを読んでいるのです。(もちろん、娯楽として楽しんでいると言っても、非常に勉強になる呟きや記事を発見することもあります。それは正直な感想です)


それでは、
読むだけでいいのではないか?
自分がTwitterやブログで発信する必要はあるのか?
という考え方もありますが、私は発信にこだわります。


なぜなら、Twitterやブログを通じて、自分自身が発信を続けているから”濃い繋がり"ができるからです。
実際、少しづつ濃い繋がりの”同志”と知り合うことができています。濃い繋がりはすでに、その道で成功している人ばかりです。そのため、自分の意識が上がりますし、新しい刺激もあるので、脳の活性化にも役立っています。


つまり、こういうことです。


何かを手に入れたければ、自分から与えるのです。


優しさが欲しければ、自分から優しくすればいい。
愛が欲しければ、自分から愛すればいい。
感動が欲しければ、自分から感動を与えればいい。
殴って欲しければ、自分から殴ればいい。
罵って欲しければ、自分から罵ればいい。
知識が欲しければ、自分から教えればいい。

【誕生】ついに息子が誕生しました!!これからさらに学ぶことが増えるので楽しみです。

バタバタしており、ブログが遅れました。
実は、
昨日の早朝、息子が誕生しました。
ついに産まれました!!


破水から陣痛、そして産まれるまで約5時間30分でした。
破水まで全く産まれる気配なかったので驚きました!笑


3200グラムで男子です。
元気よく動いており、聴力もありました。
これで私の大好きなクラシック音楽を好きになってもらい
一緒に楽しむことができる確率が高まりました。


息子が誕生したことにより、色々学べるのが楽しみです。
私の予想では、必ず新たな視点が生まれます。
今までの風景も、子供と一緒にいることで見え方が変わるはずです。
"今"を生きる、この力強さは私に大きなパワーを与えてくれます。
さらに、力がみなぎるのを感じます。

【株トーク】ペンタさんと一緒にトークイベントで登壇することになりました。

「株トーク」イベントあります。


12月16日(土曜日)、私の秘書(名前:スワン)主催の株トークセミナーがあります。
投資家ペンタさんと私がパネルディスカッション形式で株トークをします。


私は、運営に関わっていないので、質問や参加申し込みはスワンまでお願いします。



picul.hatenablog.jp

【ヤクザ】私が亡き父から受けた教育を覚えているかぎり書きます。

私の亡き父はヤクザでした。


これは5日前の記事でも書いたとおりです。
picul.hatenablog.jp

父の生い立ち

私の父は、10代で少年院に入って、そこで色々な教育を受けました。そろばんから、字の書き方まで色々と学ぶことができたようです。生前、父は少年院にとても感謝していました。少年院のおかげでやくざで成功できたと言っていました。当時の少年院は看守の暴力が当たり前だったようです。父も一度殴られたことがあり、そのときに「今回は許したるけどな。次どついたら、殺してまうからな」と迫ってからは、看守が優しくなったと言っていました。


少年院を出てからは、すぐにヤクザの門を叩いたと言っていました。つまり10代からずっとヤクザでした。おそらく40歳くらいまでヤクザでした。詳しく分からないのは、父がそのことについて話してくれたことがないからです。基本的に父はヤクザの話を子供時代の私に一切しませんでした。私が、知っていることは、私が大人になってから聞いた話ばかりです。子供のころには特になにも話しませんでした。ヤクザを辞めた理由は、組自体が解散のような形だったと思います。このあたりは残念ながら具体的に聞いたことがありません。


父がヤクザになってからは、色々な事がありました。色々な女性と結婚し、私もその結果産まれました。残念ながら、具体的に何をしてきたかは聞けませんでした。例えば、死ぬまでどうしても聞けなかったことがあります。「人を殺したことがあるのか」これは最後まで恐くて聞けませんでした。一般的なニュースのイメージとして、ヤクザの殺人のニュースはとても少ないですね。しかし、ニュースにならない殺人事件はたくさんあります。
ただ、私の推測ですが、父は賢かったですし、殺人はしていないと思っています。

私が子供のころのヤクザイメージ

私のヤクザのイメージと、現代のヤクザのイメージは全然違います。昔は、「正義のヤクザと、悪者のヤクザ」がいた感じでした。もちろん、これは私の子供ころの勝手な想像です。しかし、いくらヤクザでも、私にとって父は正義のヒーローでした。義を重んじていました。さらに、悪い運転ドライバーや、飲食店などで何か揉めている事があれば、すぐに割って仲裁に入っていました。とにかく弱い者いじめするのが嫌いな性格でした。それはイメージではなく事実でした。皆が思っているように銃で解決するようなことはありません。父は格闘技をしていましたし、常に筋トレや有酸素運動をしていました。家に銃や防弾チョッキを置いてありましたが、幼かった私は大した意味を持ちませんでした。


私の父はどちらかというと、正義のヤクザでした。なぜなら、薬や人身売買などは禁じており、主な収入源として、「企業や飲食店の用心棒、交渉人、資金回収、相談役、麻雀店経営」でした。連合を組んでいて構成人数は約500人だったと思います。(組自体はたしか80人くらいだったと思います→これの記憶あやふやです)もちろん、私はヤクザに興味はないので彼らについて勉強したことはありません。ですので、父から聞いていて覚えている範囲で書いてます。父はその中では成功していました。立場は知りませんが、皆から恐れられていたのを覚えています。母から聞いた話ですが、組長は父のことをこのように言ったそうです。「◯◯は普段優しいけど、キレてもうたらむちゃくちゃしよる。そこまですんな。って言うてるねんけどなあ。」
父の具体的な仕事内容は知りませんが、「他の組と揉め事があれば、話をつけにいく。お金の管理をしていた。」ということは聞いてます。手の指は10本揃っていました。「指落とさなあかんのは恥ずかしいことなんや。」と聞いたことがあります。身内の女に手を出した場合は、指ではなく、腕を落とされると聞いたことがあります。

優しい父

さて、こんな父ですが、意外にも私への接し方は優しいものでした。父からは一度も叩かれたことはありません。私の兄弟は毎日のようにどつかれていましたが、私は一度もどつかれていません。さらに、嘘をつくことが嫌いでした。とにかく、毎日抱きしめてくれていたことを覚えています。私が中学生になってもハグをしてくれていました。ヤクザの皆もとても優しかったです。お金の集金も終始穏やかで、私も小学低学年のころよく車で連れられていました。

私が大人になってから

離婚してからはほとんど会いませんでしたが、私が大人になって自立してからは月に一度の頻度で会っていました。そのときも毎回ハグをしてくれました。ある時、父とスナックに行きました。そこで、ガラの悪い客が店員に絡んでいたのです。そこで私は腹が立って、それに文句を言いにいこうとしました。そうすると、父は意外にも私を止めました。「やめとけ。簡単に喧嘩したらあかん。喧嘩するんは自分の家族が危ないときだけや。その時だけは相手を殺してもうてもええ。なんぼでもやってまえ。それ以外は絶対に喧嘩するな。何持っとるかわからん。刺されてもうたら終わりや。大人しくしとけ」カタギになった父はとにかく喧嘩を避けました。新しい奥さんやその家族と穏やかに過ごす幸せを手に入れていたからだと思います。とにかく、弱い者を守り、第一優先は家族と言っていました。「家族を守ることだけ考えろ。それ以外はどうでもいい」
それから、「入れ墨だけはするな」と言われていました。当然、私は全く興味がないので「絶対せーへんから安心して」と言いました。

父からの教育

1.たくさんハグをする
2.喧嘩はしない
3.家族を守るなら何をしてもいい
4.横断歩道の歩行者妨害するな
5.入れ墨は絶対しない
6.風俗にいくな
7.危ない場所にはいくな
8.揉め事を避けろ
9.警察を呼べ
10.弁護士と税理士を活用する
11. 勉強して賢くなれ→18歳になってから言われた


追記
また、色々思い出したら、忘れないために書いていきたいと思います。
ちなみに、大人になってから、色々と父と話すようになりましたが、その際に具体的な氏名や、固有名詞は一切話してくれませんでした。知らない方が安全ということでしょう。